院長プロフィール /渋谷区の整体院 代々木ユニバーサルセンター
田河大史 1973年生 鍼灸師・カイロプラクター
(たがわ ひろし)
略歴
早稲田医療専門学校東洋医療鍼灸学科、
ユニバーサルカイロプラクティックカレッジ卒
'99年、はり師、きゅう師免許取得
以後、筑波大学理療科教員養成施設、ほかにて
鍼灸、カイロプラクティックの臨床、研究に携わる
'08年、渋谷区に代々木ユニバーサルセンターを開業
現在
筑波大学非常勤講師
PAACインストラクター
所属学会・協会
全日本鍼灸学会、パシフィックアジアカイロプラクティック協会(PAAC)
「都心渋谷にありながら、代々木公園近くの素晴らしい環境で大好きな施術に専念できるので、お陰さまで毎日本当に元気です。皆さんにも、私以上に元気な毎日を過ごしてほしいです。一人でも多くの方の力になれるよう、更に指の精度を磨いて行きます」
お時間とご興味のある方は以下の詳しいプロフィールもご覧下さい。
プロフィール詳細
プロフィール詳細をご覧下さってありがとうございます。
略歴は上記のとおりですが、実はあれだけを見て来院していただきたくはないのです。
もちろん、経歴は全て本物ですが。どこで研修をしたからとか、何年やっているから、という情報だけで得られるのは表面的な安心ではないか?という思いがあります。
経歴も含めて、考えや人間性もお伝えしたうえで、何かに共感して来院していただけるのであれば、私自身も大いにやる気が上がりますし、施術の効果もより高くなると考えています。なので、ここから先は少々恥ずかしい暴露話もありますが、どうぞご覧ください。
代々木ユニバーサルセンター 院長逸話「検査、即入院」
私は未熟児で生まれ、7歳の頃に心臓の手術をしました。幼いころから心臓の異常を発見され、年に1度の定期検診を義務づけられていました。
そんなある日、いつもの検診を終えて、帰りにはレストランで好きなものを食べられる、と期待していた私は、検査からそのまま入院することになりました。
弁に異常が見つかったのです。
しばらくは学校に行かなくていいんだ、と喜んだのも束の間。
1ヶ月経ち2ヶ月経ち、痛い注射や検査を繰り返しても一向に良くなりません。小児には珍しい症例だったのか、教授が医学生を連れて見に来たりもしましたが、別段症状は改善しませんでした。
みるみる痩せてゆき、ユニセフから支援される子供のようにガリガリになってしまった3か月目に、父が東京女子医大に転院の手続きを取ってくれました。
女子医大は心臓の手術では評判が良いだけあり、転院から1週間後には手術という対応の早さでした。幸い手術は成功し、現在はいたって健康ですが、心臓には人工弁という部品が入っています。今でも定期健診でお世話になっていますので、かれこれ35年くらいのお付き合いです。
そんな年齢からずっと病院に出入りしていたので、小さな頃から自然と健康への関心がありました。
代々木ユニバーサルセンター 院長逸話「病弱な学生時代」
少しでも良い環境で、と生まれ育った板橋区の高島平団地を離れ、緑の多い埼玉県和光市に引っ越しました。手術のおかげで元気になったものの、小中学生の時は運動制限があり、体育はいつも見学です。なんとなく体がだるく、寝ながらの読書やテレビも多かったので、視力も悪くなり、いつも頭痛と肩凝りのある子供でした。
中学ではふざけて遊んでいた馬乗りで、人を乗せたまま崩れて腰を痛めました。もう起き上がれないのかと思うくらい痛かったです。
幸いそんなことはなかったのですが、これをきっかけに腰痛が持病となりました。腰が凝ると椅子にごりごりと背中を押し当てて腰痛をしのいでいました。
ただ、病院で渡されたコルセットを巻いて暮らしていたところ、健康診断で指摘された側湾がなくなってしまう、という不思議な副産物があったのです。
今にして思うと、骨って動くのかな?と気が付いた最初の事件でした。
治療の初体験は高校生です。部活の練習中、ぎっくり腰で近くの接骨院に担ぎ込まれました。久々に立てない、歩けない、姿勢も変えられない痛みを味わい、脂汗を流しながら電気鍼のような治療を受けました。
すると、直後から痛みがかなり軽くなったのです。なんだか、だまされた様な不思議な体験でした。結局、この不思議体験が進路決定のきっかけになるんだから、感動って大切ですよね。
4年間大学生活という回り道をした後、鍼灸学校へ入学。
鍼灸と言えば東洋医学なのですが、意外にも在学中には解剖学、生理学、公衆衛生学、病理学、臨床医学など西洋医学的な人体の基礎もみっちり習います。当然、東洋医学的な理論や鍼灸の技術も勉強します。
また、独自に色々な健康法を試し、練習とはいえ多くの治療を受けたせいか、在学中に体調はかなり良くなっていました。
代々木ユニバーサルセンター 院長逸話「筑波大学で鍼灸修業」
鍼灸の国家資格を取ったのは99年です。実はこの免許は少々怖い免許で、合格して申請さえすれば、最短で21才で開業資格がもらえるのです。医師や弁護士のように研修を義務付ける法律は何もありません。
当時私は26歳でしたが、さすがに学校を出たてで開業する事は考えていませんでした。でも、技術も知識もない鍼灸師を雇ってくれる鍼灸院はそうはありません。かといって整形外科や接骨院で、パートさんでもできる電気治療のスイッチを入れ続ける事もしたくはありませんでした。
どこかでタダ働きのカバン持ちをするしかないかな?と考えていた卒業直前、たまたま学校に貼ってあったポスターが目に留まりました。
筑波大学理療科教員養成施設の研修生募集のポスターです。つまり、わずかな研修費を納めれば、国立大学で鍼灸治療の実際を教えてもらえるのです。
試験にさえ受かれば…
当時、私の成績は決して優秀ではありませんでした。しかも、体力がなく、バイトの疲れから授業中に居眠りすることもありました。さらに、試験科目には英語まであります。
短い間、懸命に勉強しましたが、実は試験や面接のことは良く覚えていません。
正直、こんな私がなぜ試験に受かったのかは現在でも謎なのですが、とにかく数日後、研修の許可書が届きました。
ダメ元でしたから、本当に嬉しかったですね。今でもその紙は大切に持っています。
そうして幸運にも研修生生活をスタートし、多くのことを習いました。
理療科教員養成施設は低周波鍼通電療法(パルス鍼)の総本山なので、体系的な診断・検査の方法、筋肉の触診、打ち分け、通電方法などをじっくり学びました。教官4人に生徒は10人前後、まさに寺子屋状態です。
また、技術的な事ももちろんですが、実際の患者さんと接する中での悩みや疑問を尋ねる人がいる、という環境は本当に幸せでした。
代々木ユニバーサルセンター 院長逸話「初めての事故」
でも、順調に知識と技術を学んでいた1年目の終わり頃、研修生同士で練習をしていたときにある事件を起こしてしまいました。
気胸です。
これは肺に穴があいてしまうもので、自然にも起きる事があるのですが、それを鍼が原因で起こしてしまったのです。
私の練習相手はしばらく研修を休みました。その理由が自分との練習だったことを指導教官から聞かされ、すごくショックを受けました。
正直、鍼を持つことも鍼灸師でいることも怖くなり、期間中でしたが研修生をやめようとまで考えました。
それを思い止まったのは、指導教官の先生がよくよく諭してくれたことと、相手の先生から逆に強く励ましていただいたからです。
お陰で、治療には事故は起こり得ること、より一層の練習と勉強が必要なことを誰よりも身に染みて学びました。
代々木ユニバーサルセンター 院長逸話「骨格やバランスを学ぶには」
ただ、そうして研修を過ごすうちに、色々疑問も湧いてきました。
例えば、スポーツ障害の際には、よく使い過ぎが原因に上げられます。ですが、左右を同じように使う競技でも、痛めるのはどちらかです。その差がどこから来るのかは、あまり気にされません。
その左右の違いを生む、バランスや骨格の問題がどうにも気になりました。
そこで色々調べた結果、カイロプラクティックという治療が骨格について詳しく学べることを知りました。アメリカをはじめ、いくつかの国では大学で5~6年の勉強を必要とする医療系の資格です。
日本には大学が存在しないので、専門学校を探すことにしました。
不思議な事に、新聞広告などを出す大手の整体やカイロプラクティック学校はどこも、「あなたもなれる」とか「開業して収入につながる」などと言うばかりで、「大変だ」とか「難しい」とか言わないのです。
アメリカで4000時間以上勉強しなきゃいけないものを、簡単に勉強できるはずがないのに、と思いませんか?学校見学の帰りにはいつも釈然としない気持ちで、なかなか学校を決められませんでした。
そんな時、研修生の仲間が良い情報を教えてくれました。アメリカでカイロの資格を取ってきた先生ご推薦の、良い学校があるというのです。
それがユニバーサルカイロプラクティックカレッジ(UCC)でした。
ここだけは唯一、説明会で「この業界は甘くないよ。2年の修業をしてようやくスタートラインだ。それからもずっと勉強が続く世界だよ」と厳しいことを言うのです。これでこそ本当だと思い、その場で受験を決めました。
そして、研修2年目継続と同時に、UCCの夜間部に入学し、鍼灸とカイロプラクティックを学ぶ日々に突入しました。夜間部は有資格者対象の為、2000時間近い授業はほぼ実技です。それでも、8種類のテクニックを学ぶには短いくらいでした。その上、神経学、診断学、などカイロ独自の理論も学びます。卒業までにはかなりの気力が必要でした。でも、お蔭で筋肉にも骨格にも詳しくなり、鍼だけに頼らない施術が出来るようになりました。
代々木ユニバーサルセンター 院長逸話「医療現場での修業」
せっかくの技術も使わなければ成長しません。
幸い縁があり、卒業後すぐに世田谷にあるリウマチ専門医の内科医院へ勤務することになりました。そこで求められるのは、鍼でもカイロでもいいから結果を出すこと。患者さんの中には、初めて見るくらい重症のリウマチの方もいます。
どう治療をしたらいいのか?いわゆるボキッとしたカイロはできません。習った多くの技術の中から、より刺激の少ないものを上達させるよりありませんでした。
一方、学生の頃から別の病院のリハビリ科勤務も継続していました。
こちらは、整形外科とか接骨院に近い雰囲気です。骨折、捻挫などのケガから腰痛、肩凝りなどの慢性症状まで、多くの症例に触れました。ここでは限られた時間で多くの患者さんを治療することが求められます。開業までの8年を過ごしましたが、整形の医師の診断方法や考え方を学べたのが大きかったです。
実は、上記2ヶ所に勤めながら研修生も続けていました。
また、UCCも希望者には助手として授業に参加すること許してくれていたので、そちらでも勉強を続けました。治療の現場にいながら、先生がいて多くの疑問のヒントがもらえる。そんな得難い経験からなかなか離れられなかったからです。
しかも、経験を重ねるうちに何の縁か、筑波では非常勤講師に、UCCの母体のカイロ協会でも勉強会の講師に、と更に勉強する機会を与えられるようになりました。
そして、数年の出張治療の経験を加え、鍼灸の資格習得から10年目、08年8月に渋谷区は代々木公園の緑を臨む場所に治療院を開きました。
駅から近くで、近くには美味しいお店もあり、行くのが楽しみで、帰りには元気になる。
そんな出張治療をしていた頃からの夢を形にしました。なにしろ私が一日中いる空間なので、居心地の良さにはとことんこだわっています。おかげ様で「このままずっと寝ていたい」なんて褒め言葉(?)をいただくこともしばしばです。
代々木ユニバーサルセンター 院長逸話「治療院を始めて分かったこと」
夢を現実にしても当然勉強は続くのですが、特に開業後大きく変わったことが2つあります。
実は私は開業して間もなく結婚しました。国際結婚です。
この結婚は私に「ただ聞く」ことの大切さを教えてくれました。習慣も文化も言葉さえ違う2人の生活は、まずよく聞いて互いの理解を深めるしかありません。文化の違いに良し悪しはないので、変だな、おかしいな、と思っても判断はせずにまず聞くのです。
そうした毎日を送るうち、患者さんからもより深い話が聞けるようになりました。何気ない会話の中から、症状につながるクセや行動を聞き出せるようになったのです。というより、聞く姿勢が出来たので、患者さんがよく話してくれるようになったのかも知れませんね。
もう1つの変わった点は、自分の使命を自覚したことです。
仕事柄、皆さんから健康に関する多くの疑問、質問が寄せられます。たくさんの健康情報が氾濫する中、みんな不安や疑問があり、それを解決する場がなかなかないのだと実感します。
私の仕事は、いらっしゃった患者さんに施術をすることだけではありませんでした。皆さんに代わってそうした情報を収集・整理し、プロとして噛み砕いて解説することも求められている、と気付いたのです。
ですから「雑誌にこうした記事が載ってるんだけど、私もこれに当てはまるの?」といった疑問でも結構です。些細なことでもどんどんお尋ねいただき、お互いに知識が深まれば、と思います。
施術を受ける受けないにかかわらず、遠慮なくいつでもご連絡下さい。お答えできる範囲で精一杯答えさせていただきます。
⇒なにか疑問があればお電話かメールでお気軽にご質問下さい。
最後に
実は、私にはカイロプラクティックや鍼灸の治療をしても、なかなか完治には至らない病気の身内がいました。脳梗塞、パーキンソン病、パニック障害、てんかんなどなど。当然、病院との連携も不可欠です。
でも、人間本来の力をもっと上手に引き出せれば、必ず体は変わるだろうと信じています。なので、より良い施術のための修業は、私の義務でもあるのです。その結果、機会を得て、一人でも多くの皆さんのお役に立てれば、治療家としてこんなに嬉しいことはありません。
ここ渋谷の片隅で、皆さんとのご縁をワクワクしてお待ちしています。